深く自分を内観するとことと、生まれた時代と場所から自分を客観視すること、どっちもすべき。ミクロとマクロっていうの?こういうの。
って、深夜目が覚めて思った、というメモ。
4月の後半とGW、ずっと動けずにもんもんとしてた。
動けないこと自体もだし、生産性のない自分への罪悪感を感じてしまうこと自体にも悶々としてる。
GW明けても、ほぼ日みて過ごした昨日。
学舎入ってから、繰り返してきた日常。
やる気なくってサボって過ごす時期を、
こう出来る環境なんだから、甘えればいいじゃん!ほんとにやるしかないって時は少しはやるんだし!って開き直りたい自分と、
自己弁明しても結局心のモヤモヤが晴れず、罪悪感抱えながらも結局行動は全く変わらない自分、がいる。
この性質自体が、自分のパーソナリティーの一部だと思ってるし、自分の考え方や行動を変化させて、生きやすくしていくべきって思ってたけど、生得的なもの、自分の育った環境に加えて、
もっと大きな俯瞰した視点で、生まれた時代と場所のせい(ほぼ日のジャレドダイヤモンド対談より引用)
って視点も取り入れるべき。どっちも並行して考えることが、本質的な自己理解につながるとおもう。
ってことで、ちょうど手元にあるこの2冊が今の自分にいいんじゃない??